2012年5月17日木曜日

進化の視点からみた病気:病気はなぜあるのか


1.はじめに

 ここ数年、翻訳を含め進化医学の本が何冊か出て、進化医学への注目が高まっている。そこでは、多くの病気は遺伝と環境の複雑な相互関係の上に成り立つと考えられる。そこで、病気の成因は進化の立場から考える必要がある。精神病でさえも何らかの適応の結果、つまり進化過程での交換取引として理解が可能である。
 井村(2002)は、進化医学的視点の必要な理由として次の3つをあげている。[(1), p.15]

@. 多くの病気は遺伝と環境の複雑な相互関係の上に成り立つ。
A. 病気の成因は、進化の立場から考える必要がある。自然選択による進化は遠い将来を見越してされるのではなく、目前の環境への適応のために起こる。
B. 進化の視点は、人類の未来を考える上に重要である。ビタミンC合成酵素異常のように、人類のすべてが遺伝病になるという可能性がある。

2.進化医学の視点

(1)鎌型赤血球症

 鎌型赤血球症はアフリカ、地中海領域、インドなどに多い遺伝性疾患で、正常では円盤状の赤血球が鎌型に変形し、重篤な貧血を来して若くして死亡する。ヘモグロビンS(ヘモグロビンのβ鎖に突然変異をおこしたもの。この異常遺伝子を1つだけもつヘテロ接合体の人は病気をおこさないが、ホモ接合体の人は、鎌型赤血球症を発病する。)を持つ人は、アフリカ系アメリカ人で11パーセント、アフリカの一部では30パーセントを超えることが知られている。アフリカのこの地域はマラリアの多いところであり、ヘモグロビンSのヘテロ接合体の人はマラリアに抵抗性があるため、この以上遺伝子が選択されて残ってきたものと考えられる。

 マラリアは4〜5万年前から人の感染症として、多くの人命を奪ってきたと推測されている。この4〜5万年前はアフリカで原始農業が始まった時期といわれており、これにともなう環境の変化がマラリアを伝播させたのかもしれない。鎌型赤血球症の最初の症例も5万年前と推定されている。…アフリカでマラリアの流行がヘモグロビンSに選択圧をかけ、この異常遺伝子を集団の中に増加させたのであろう。[(1), pp.12-14]

(2)免疫系の進化

 生物は進化の過程で、単細胞生物から多細胞生物へ、変温動物から恒温動物へと変化した。それによって体を大きくし、活動性を増し、体内環境の恒常性(ホメオスターシス)を維持することができるようになった。それは環境の変化に対応するためにも、また食物連鎖の頂点に立つためにも必要であった。哺乳類の繁栄は、こうした戦略によってもたらされたものといえよう

 しかしそのためには子供の数を少なくし、寿命を延ばすという、それまでの生物の種族保存の方法とは異なる戦略を選ばねばならなかった。それには獲得免疫は大変意義がある。なぜなら長くなった生涯では、同じ寄生体の侵入を繰り返し受けることがあるが、免疫記憶を利用して迅速に、かつ強力に対応できるようになったからである。長い一生のために、哺乳類は免疫系を高度に発達させねばならなかった。いやそれはおそらく逆で、強力な免疫系を持ったからこそ、大きい体と長い寿命を持ち得たのであろう。


lthe滝ベインブリッジオハイオ州の家族の中心

 このようにして強力な免疫系を持った人類は、さらに知能を発達させ、感染症に対するさまざまな対策を考えるようになった。食物の熱による処理、上・下水道の完備などがその例である。これは寄生体にとって、大きい選択圧になったことは否めない。その上、人は20世紀の半ばに抗生物質を発展させた。・・・その結果として起こったことは、しかし細菌の衰亡ではなく、逆襲であった。選択圧は細菌の変異をうながし、薬剤耐性や新しい毒性の獲得をもたらした。というより、高変異性の系(strain)が、生き残ったというべきかもしれない。大腸菌の研究で、病原性のあるものが、変異率が高いという報告があるからである。[(1), pp.61-62]

(3)糖尿病

 糖尿病は生存にとって決して有利な身体条件ではない。…ではなぜ糖尿病の遺伝子が、進化の過程で排除されなかったのであろうか。

 これについて、1962年J・V・ニールは大変興味深い仮説を発表した。それは糖尿病の遺伝素因は食物の利用に過度に効率的であり、そのため食料の乏しい時代には有利であったという考え方である。…おそらく原始的な人類も、ときに大きい獲物を得て飽食することはあっても、多くの場合は食物が乏しく飢えの危機にさらされて活きてきたと考えられる。従って、飽食のとき、過剰な糖分を効率よくエネルギー源として貯えることのできるものが、生存競争で有利であったと言えよう。ニールは、このような遺伝子素因を、通常のことばを用いて倹約遺伝子型(thrifty genotype)と名付けた。[(1), p.153]

3.精神障害は病気か

(1) 精神障害の「医学的モデル」

 「近年、精神医学の分野は甚大な変容を経験した。研究の焦点が心から脳に移り・・・同時に、職業も、非適応的な心理プロセスにもとづく精神異常のモデルから、医学的な疾病にもとづくものへと変化した。」この変化は、1950年代、60年代に、抑うつ、不安障害、精神分裂病の諸症状に効き目のある薬が発見されたことから始まった。・・・政府も製薬会社も、精神的な病気の遺伝的、生理学的相関を研究することに大量の予算をつぎ込むようになった。

・・・他の医学的問題と同様、精神障害の多くの症状は、それ自体が病気なのではなく、発熱や咳と似たような防御であることがわかる。さらに、精神障害を起こしやすくさせる遺伝子の多くは、適応的な有利さをもっている可能性がある。精神障害を引き起こす環境要因の多くは、現代生活に特有の新しいものであり、ヒトの心理のより不幸な側面は、誤りではなくて、設計上の妥協なのである。[(3), pp.315-316]

(3)悲しみとうつ病

 北アメリカの若い成人の死因で、交通事故に次いで多いのは自殺である。合衆国の若い成人のおよそ10パーセント近くが、深刻なうつ病を経験したことがある。さらに、その頻度は、多くの工業国で過去数十年のあいだにゆっくりと上昇しているようで、およそ10年間で倍になっている。[(3), pp.326]

 何かを失ったあと、人々は、どう違ったやり方でふるまえば、適応度を高めることができるだろうか?まず第一に、…悲しみは、喪失の原因となっているかもしれない現在の行動をやめるようにどう気づける。第二に、通常の人間の傾向である楽天主義を、この際はわきにどけておいた方が賢明かもしれない。


約喜びのエリザベス褐変の痛み、

 抑うつが本当に消えるのは、その人が長く追求していた目的を完全にあきらめ、自分のエネルギーを別の方向に向けるようになったときであることは、昔からセラピストのあいだで知られていたことである。/高揚した気分と落ち込んだ気分とを感じる能力は、現在の機会が好調なものであるかどうかに応じて、資源の振り分けを調整するメカニズムであるようだ。もしも儲けがまったくないなら、エネルギーを無駄に使うよりは、じっと座っていた方がよい。[(3), pp.328]

 こんな遺伝子がなぜ遺伝子プールの中に維持されているのだろうか。[(3), pp.330-332]

@. 創造性(有名なアイオワ作家クラブのメンバーの80パーセントは、何らかの気分障害を経験したことがあるそうだ。)
A. 抑うつは無意識のうちの屈従の信号(抑うつ状態は、人々がヒエラルキー逃走において勝つことができず、しかも、より権力のある人物に負けたくないときに生じやすい。…それで、上位者からの攻撃がさけられるのではないか。)
B. 抑うつは、遠い祖先の時代にあった冬眠に対する反応の名残(季節性障害SADは圧倒的に女性に多いので、繁殖を制御する何らかの反応ではないか。)

 現代の新規な環境の中には、抑うつと自殺をもっと増やすような要因があるのだろうか?・・・マスコミュニケーションと地域集団の崩壊。テレビ、映画に代表されるマスコミは、たくさんの人を巻き込んだ競争集団を作り、誰もが世界で一番の相手と戦わなければならない。自己評価、パートナー評価が低下する。テクノロジーによる社会集団の崩壊は、独房社会を作り出し、競争させられている。ますます多くの人が、支え合える集団のいる場所をえるため、友達、アルコール依存症者の集まりのようなプログラム、あらゆるものに対する支援グループ、サイコセラピーなどに求めている。宗教に走るのも、それが集団を提供してくれるからである。[(3), pp.333-334]

(4) 精神分裂病(総合失調症)

 精神分裂病は、世界中のどこの社会でもおよそ人口の1パーセントに現れる。現代の社会では、この病気の度合いがひどくなっているという指摘が最近なされているが、これが文明病だというのは誤りだろう。精神分裂病にかかりやすくするある種の遺伝子があるという、説得力の高い証拠がある。親戚に精神分裂病の人がいると、同じ病気にかかる確率が数倍も高くなる。それは、精神分裂病でない里親に育てられた場合も同様である。一卵性双生児の片方が精神分裂病であれば、もう一方もそうなる確率は50パーセントであり、二卵性双生児の場合は25パーセントである。[(3), pp.340]

 適応度を下げるような遺伝子が、なぜこんなに高い頻度で残っているのだろうか?精神分裂病を引き起こす遺伝子にかかる淘汰は非常に強いので、突然変異と淘汰のバランスだけによるのならば、その頻度はもっとずっと低くて当然のはずだ。さらに、精神分裂病の頻度が比較的一定していることから、この遺伝子は最近現れたものではなく、何万年にもわたって維持されてきたと示唆される。・・・この遺伝子が、他の特定の遺伝子、または特定の環境と一緒になったときに利益をもたらすということである。・・・証拠の一つは、精神分裂病の人の親類で発病していない人には、高度な能力を持った人がいるということだ。この問題の全体は、まだ探求が始まったばかりである。[(3), pp.340-341]

3.人類の創造的進化と分裂病(総合失調症)

(1)分裂病の遺伝的要因(分裂病の陰と光)


ニューイングランドの破壊フォーラム2006

 分裂病の遺伝子をもっていると、育つ環境が分裂病の家系かどうかに関わりなく、分裂病発症の危険率は非常に高くなる。同様に、たとえ分裂病の家系で育ったとしても、分裂病の遺伝子を持たない子供は分裂病にはならない。/遺伝子の影響は強いが、すべてではない。一卵性双生児の一方が分裂病でも、もう一人は違う場合が半数あることからもそれはわかる。

 ヘンリー・モズリー(19世紀後半のロンドンで活躍した偉大な精神科医)は、フランシス・ゴールトンと親交があり、優生プログラムにも興味を持ったが、ビクトリア朝の名家に、驚くほど分裂病疾患に冒されている人がいることに気がつき、反対した。

 レナード・ヘストンによれば、分裂病患者から生まれた子供たちのうち、病気でも犯罪者でもないもののほとんどは、正常な両親の子供たちより多様で興味深い人生、成功した人生を送るように思われる。彼らはより創造的で想像力がある。分裂病患者の子供たちが音楽に並外れた能力を示す率は極めて高く、15パーセントにものぼる。正常な母親の子供にはそのようなものはいない。信仰心が強い子供も多く、正常な母親の子供は3パーセントであるのに対して13パーセントである。彼らは日曜日にだけ教会へ行くという程度ではなく、宗教に深く哲学的な興味をいだいている。[(1), pp.178-179]

 ここで興味深い絵がうかびあがってくる。それは分裂病患者とその家族についての暗いイメージからは程遠いものである。確かに、分裂病は人生を破壊しうる病である。分裂病患者と遺伝子を二分の一、四分の一、八分の一共有する近親者の中には、ソシオパス[psychopath(si′ko-path).精神病質(以前,反社会的な人格障害をもつ個人をさした語.→antisocial personality; sociopath).antisocial personality反社会性人格(他者の権利を侵す持続的な攻撃的行動パターンを特徴とする人格障害).=psychopathic personality]や犯罪者もいるが、きわめて創造的で想像力にあふれ、成功するものもいる。双極性障害の家系についても同じことが言える。分裂病と双極性障害は人間の最高の状態と最悪の状態をあわせもっているように思われる。最悪の状態を緩和する方法がわかれば、分裂病患者と双極性障害患者は世界を豊かにするために多大な貢献ができるだろう。[(1), pp.180-181]

 ジェイムズ・ジョイスの娘、アルバート・アインシュタインの息子は分裂病であった。カール・グスタフ・ユングの母親もおそらく分裂病だった。哲学者ではバートランド・ラッセルの家系にも分裂病患者がいる。最近のノーベル賞受賞派の何人かも分裂病の子供を持っており、その中には現在もっとも有名な人物もいる。

(2)分裂病が出現したのは

 遅くとも約6万年前までに、一番早くて15万年前に、すべての人種が分裂病を獲得したということになる。これは人類史上最も重要な出来事の一つであろう。大きな脳をもち、善良だが想像力に欠ける先行人類から、創造的だが落ち着きのない、われわれ現世人類への転換期であったのだろう。

 分裂病の起源を特定しようとするなら、オーストラリアに人類が到達した年代に、アフリカや中近東での人種分岐にかかった時間を加える必要がある。確かな年数はわからないが、2万年より短いことはないだろう。人種分岐に5万年ほどかかったと考えれば妥当である。/このように考えると、分裂病の起源は8万年前よりも新しいことはまずありえない。妥当な年代は14万年前というところだろう。(218-219)


 文化的変化と芸術、宗教の出現に根拠をおくと15万年前から8万年前、人種の分岐と分裂病の起源を考慮すると14万年前から8万年前となる。これらの出来事には何か関連があるのだろうか。[(1), p.219]

(3)新しい人類の祖先は水辺で生まれた分裂症患者だった?

 分裂病を特徴づける遺伝子的変異をもった家族がはじめてあらわれる。その家族は東アフリカのどこか、サバンナにかこまれた水辺に住む30人から100人程度の部族の一員だった。・・・1組の夫婦がそれぞれ分裂病の遺伝子をいくつかもつことになった。複数個がそろうと分裂病を発病する遺伝子である。そして、夫婦の子供の1人にも1つの突然変異がおきる。それは親からの遺伝情報を反映して、分裂病のゲノム(遺伝情報)をもつ最初の人間をつくりだす遺伝子の変異であった。彼あるいは彼女は接近した水辺から食べ物を得ていたので、症状は穏やかで、あまり奇妙な行動をとることはなかった。しかし、普通とはどこか違っていた。孤独、環境への認識、物事に対する不満。…少なくとも、生殖をさまたげること� �なかったのだろう。3世代、4世代たつうちに、最初の分裂病患者には10人から20人の子孫がうまれた。[(1), pp.226-227]・・・、やがてその中から最初のシャーマンが誕生し、さらに芸術家も誕生した。また、それらの子孫が新しい技術を開発し、やがてその新しい技術を利用して戦争を起こすものもでたであろう。

(4)工業化にともなう精神障害者の増加(3つの原因)[(1), pp.241-246]

@. 人口の増加により単純に精神障害者の数が増加した。
A. 社会が変化し、精神障害が簡単には黙認されなくなった。
B. 最も重要なことだが、以前は比較的穏やかだった、ほとんどの患者の精神病症状が、栄養の変化でひどく深刻なものとなったからである。

【要約】

 ここ数年、翻訳を含め進化医学の本が何冊か出て、進化医学への注目が高まっている。井村裕夫は京都大学総長まで歴任した、内分泌学の専門家である。彼は、多くの病気は遺伝と環境の複雑な相互関係の上に成り立つと考えられ、病気の成因は、進化の立場から考える必要があることを強調する[(2)]。また昨年来日した、ミシガン大学精神医学部教授の著者のランドルフ・ ネッシーは、精神病も何らかの適応の結果、つまり進化過程のトレード・オフとして理解が可能であると述べている[(3)]。英国分裂病協会医療顧問を務める医師であるディヴィッド・ホロビンは、類人猿からヒトへの大きな変化の1つに、脂肪の蓄積をあげている。実はヒトの脳も、脂肪の塊と考えられ、脂肪の代謝が脳活動と密接に関係している。特に、分裂病(総合失調症)などの精神病の発症と飽和脂肪酸との関連が近年注目されているらしい。一方、分裂病には、複数の遺伝子がかかわっているとされているが、それらの遺伝子を現世人類の祖先が獲得した時期と、知性が飛躍的進歩(芸術、技術、宗教などの出現)した時期が一致していることは、精神病者を出す家系に天才が多く排出する事実と無関係ではないと、ホロビン� ��主張する[(1)]。このような進化医学的見方をすると、ヒトの知性の進化と分裂病の出現は、深い関係があることになる。人類進化の光と陰を見せられた気がする。

【参考文献】


(1) ディヴィッド・ホロビン『天才と分裂病の進化論』(新潮社、2002年7月)(Horrobin, David. The Madness of Adam & Eve: How schizophrenia shaped humanity. Transworld Publishers, a division of The Randam House Group Ltd.)
(2) 井村裕夫『人はなぜ病気になるのか:進化医学の視点』(岩波書店、2000年12月)
(3) ランドルフ・M・ネシー&ジョージ・C・ウィリアムズ『病気はなぜ、あるのか:進化医学による新しい理解』(新曜社、2001年4月)(Nesse, Randolph M. and Williams, George C. Why We Get Sick: The new science of Darwinian medicine. Vintage Books, a division of Random House, Inc., New York, 1995)



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