事例検討の掲示板の履歴NO17
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アメリカで看護しています 投稿者:hina 投稿日: 3月 5日(火)12時40分17秒
はじめまして
看護トピを見て寄せてもらいました。
私はライセンスもなく家族以外の看護はしたことのないおばさんですが
アメリカ人婦人79歳を週一回診ています。
この方は出産後(双子のこどもが4歳の時)ポリオに架り現在は車椅子生活です。
二人の娘さんは他州に住んでいます。
ですから 普段は住み込みのお手伝いさんと 犬、ねこと暮らしています。
その方がお休みを取る土曜日にお手伝いします。
約5ケ月前 胃がんの手術を受けて その間は 病院や看護施設を利用して
最近自宅で療養しています。
といいましても 胃の90%削除とかで現在も ヨーグルト状の食事です。
私はもう自宅には帰らないでナーシング ホーム希望かな〜と思っていましたが
ご本人が自宅を希望さ� ��たみたいです。自由が利きますから。私は他にも看護されている方を知っていますがアメリカで感じる事は アメリカのシニアは日本のシニアより独立しているように思います。
ここでは 成人したこども達と親子で暮す事がほとんどありません。
それぞれが人生楽しく暮らしているように思います。
それだけ年金、医療も整て要るからでしょうか?私も最近シニアの仲間入り(60歳) ひとりで海外で暮らしているのを
自慢の種にしているおばさんです。
月曜日〜金曜日は コンピュタ〜クラスをとって万年留年で3年目を迎え
家の近くの介護ホームでもボランテァして 日系のコミニティ〜にもシニアのランチサービスの配膳、後かたずけのボランテァを楽しんでいます、金曜日はお刺身の献立です。
このマグロも釣り自慢の方の無料提供によるものです。お刺身の食べれない外人さん(アメリカ人)はフライ魚です。私も父を看病しました。その時の過剰な延命治療に疑問をもっています。
人間いつの日か人に支えられて生きていかなければならない日が来るでしょう。
それまで なんとか明るく、のんびり 人生を楽しみたいです。
どうぞ よろしく(^^)
いろいろ教えてください 投稿者:佐藤 投稿日: 3月 5日(火)13時29分55秒
hinaさん、はじめまして。
本でしか、アメリカの実情は知りませんが、また、いろいろとおしえて下さい。
宜しくお願いします。独立というか自律というか、話しには聞きますがやっぱり日本とは随分違うんですね。
自己決定権という言葉が、自然に出てくる土壌があるんでしょうか。
そして、それは、宗教というものと関連があると思われますか?
観念的な質問で申しあけありませんが、よければ肌で感じるアメリカを聞かせてください。
うーーーん 投稿者:佐藤 投稿日: 3月 5日(火)17時17分56秒
事例の報告です。
内科医先生、ぞぉさん、ヒロさん、こころさん、田村さんいろいろありがとうございました。きょう、午前中に、永眠されました。
ご自宅でです。月曜日朝往診に行ったとき、聴診で肺炎も併発してると判断しました。
採血検査では、腎機能は悪化しており(クレアチニンで8弱)尿量も少なく・・。
昼に再度話しに行きました。
まず、医師として事実をお話ししました。(総合的に判断してきびしいということを)
家族はピンと来なかったかもしれません。
出来るだけ簡単な言葉で説明したつもりです。
やはり、私はこの説明からはいることしかできませんでした。そのあと、わからないことを質問していただきいくつかお答えしました。
質問の内容は、やっぱり説明しても 納得できない(納得したくない)ことがあるのだなという印象でした。みなさんのご助言のように、なうべく家族の方の思いを掃きださせてあげようと聴くことに専念したつもりです。
最終判断は、ご自宅で看取るという決断でした。
人は最期どの様になるのか、考え得る状況を説明しました。その夜は、家族にも笑顔をみせられたとにこと。
今日朝は、娘さんにバイバイと手を振って・・。
奥さんがクスリを飲ませたところ、一口飲んで、あとは目をつぶって「いらない」という感じで寝ていったそうです。その時ちょうど私は携帯で奥さんにその状況を聞いていました。
それから数十分ご、外来中に再度お孫さんから電話があり、呼吸をしてないようだと。
往診すると、やすらかな顔で寝ておられました。
みなさんがお集まりになったところで、死亡確認をしました。
死に水を取ってもらい、死化粧を担当のケアマネとお孫さん(今年看護学校を卒業したばからり)
で行いました。腎不全、肺炎で本来なら酸素吸入やIVHの状態であるはずが、このようにやすらかな最期であった事が、不思議です。病院の最期の儀式のようなものが何なのか、考えさせられました。
家族は、きっと、納得はしていないと思います。
人が死ぬのを納得するのは無理とおもいます。
これからの時間の中でそれが少しづつしみわたっていくのではないかと思います。
どれだけお役に立てたのか、わかりませんが、家族との話しの中で
「私達は、いつも何かの決断をしながら生きている。辛い決断もあれば、まちがった決断もあるだろう 。でも、それを避けていてはしょうがない。」
という、家族の気持ちが感じられ、何か、自分がちっぽけなものに思えました。今日は少しゆっくり寝れそうです。
みなさん、いろいろと有り難うございました。
ご苦労さまでした。 投稿者:ぞぉさん 投稿日: 3月 5日(火)21時49分45秒
その後どうされただろうかと気になっておりましたが・・・本当にご苦労さまでした。以前から入院の話があった時も、出来るだけ自宅で看たいとおっしゃていたことからも、やはり自宅でいう思いが強かったのでしょうね。
往診と週三回の訪問看護と毎日の訪問介護との連携や支えがあったでしょうし、ご家族は不安や葛藤とたたかいながらも、きっとお孫さんの存在も大きかったのだろうと思います。
そして、一般病院でのきめの細かい往診も本当に大変なことだったでしょうし、ご家族の大きな支えだったと思います。最期がみなさんに感謝をされ、安らかな死であったのは何よりの慰めでもあったように思います。それでも、残されたものが納得出来ないのは、やはりいろいろと想いが残るのでしょうね・・・
� �間が経ってご家族も、関わった人達も今は形のないものが見えてくるのかも知れません。ちなみに自分の場合はまだ形は見えませんが・・・
先生の書かれているのを読んで、自分の在宅での最初の看取りの時のことを考えました。
臨終の場を迎えると当然のように家族を部屋から出し、いろんな処置をするのが当たり前で、疑問にも思わない病院時代を過ごしていましたから、在宅で何もない部屋でただただ手を握って呼吸が止まるのを見つめているだけの臨終の場は、いくら「これで良いのだ」と自分に言い聞かせても、ついあるはずのない酸素マスクを目が探してしまったり、違った意味で怖いものでした。
でも、本当に静かで穏やかな死です。そしてとても自然でした。このような最後の時には医者でも看護婦� ��もある必要はないように思います。
一人の人間として、一人の人の死を見つめ、そして自分にいろんなことを教えて下さったその方の
死を忘れないこと、考え続けることが大切なのではないかと思っています。先生の投稿を読んで心がザワザワしたので思いつくまま書いてしまいましたが・・・
どうか今日はゆっくり休んで下さいペコッm(_ _)mhinaさん、掲示板2に書いて下さったひらめさん、初めまして。
いろいろな経験をお持ちのようでほんとに素敵ですね(^-^)
いろいろとお話が聞けるかなと期待しております。よろしくお願いしますペコッm(_ _)m
ご報告ありがとうございます 投稿者:ヒロ 投稿日: 3月 5日(火)22時03分19秒
佐藤先生
どうもお疲れ様でした。
安らかな最期だったようですね。何だかとても自然に逝かれたように感じました。
ご家族も佐藤先生には、きっと感謝の気持ちでいると思います。
ご本人にもご家族にも大きな存在だったと思います。
どうぞ今日はゆっくり休んで下さいね。
(私の利用者さんは相変わらずです。たまに来るお孫さんの顔を見るとにこっと笑うそうです。)hinaさん
遥々アメリカから・・凄いなぁ。
この掲示板もグローバルになりました。(^^)
いろいろなお話が聞けるかと、とっても楽しみです。どうぞ宜しく!
考え続けていました。 投稿者:不良=pa 投稿日: 3月 5日(火)22時41分30秒
佐藤センセの患者さんのこと。なかなか言葉がでなくて、ぅぅ・・状態でした。
お疲れ様でした。安らかな最期を迎えられたそうでよかったです。直面されている苦悩・ぞおさん、ひろさんの体験に基づくいろんな考え・こころさん、ひなさんの体験。
鉱業ショー機器の転倒やけがでなんかね、ひなさんのお便りで思ったんですが、佐藤センセが書いておられるように、この国では「儀式化現象」が存在しているんですね?儀式つながりで、結婚式をふと思ってしまいました。
今はブライダルもふたりでセッテイングしたり、心に残るスペシャルディにしよ。ってカップル多いと思うけど、まだまだ式場で用意されたお式にするひとが多いと思うの。
USの友人たちは、自宅の庭なんかで自分たちでテーブルだしたり、お飾りしたり、ダンスしたりやってるんです。まあ場所もあるからだと思うんやけどね。取り組み方がね、こっちで式場でよくやるxx家とxx家のお披露目〜って感覚とは違うのね。プロがなにもかも用意してくれて、楽だとは� ��うけどね。いまいち個性がないかもな。。(って、paはやったことがないので。ぅぅ・・)
いかにステキな時間を自由にみんなで過ごすか、自分たちの人生最大のスペシャルディをいかに楽しむか、だと思うのよ。人生最期のときって、スーパースペシャルたーいむ!だと思っているんで、これを閉ざされた空間で、儀式でおわらせたくはない。
ホスピスはがん患者さん対応、みたいな感覚があると思うけど、終末期へ向かいつつあるひとたち全てが必要だと思います。そこがホスピスの専門の場所でなくても、自宅でも病室でもそうゆう要素がはいっていることが必要なのではないでしょうか?
つれつれなるままに。 投稿者:ひらめ 投稿日: 3月 6日(水)22時13分35秒
佐藤先生、今日も1日ご苦労様でした。
先生の思いは家族や患者さん自身に、通じてると思う、と言うよりも
先生と共にやってこられた事をただただ受けとめる事で、一杯いっぱいかな。
在宅でその人らしく天国にいかれたことは、勉強になります。ぞうさんせんせい?が言われる、病院での臨終と在宅の臨終のギャップは
ほんとよくわかるなー。前、鼻チューブでご飯を食べていた人で、老健で
終末をとの希望から、良く晴れた午後になくなられましたが、その時。
手足のきれいなこと(普通点滴でむらさき色)体もきれい(普通体のなかに
管が入っていたり、おしっこの管が入っていたり)妙に死後の処置で
考えさせられてしまったことがありました。亡くなられた人を何年も覚えていてもらえる� ��は、家族はたまらんもん。
家の母も亡くなって20年になるけど、命日にお花をあげてくれる方がみえます。
こんなにうれしいことはないですよ。
まあ、38歳だった母もこゆい人生を歩んでいたため、
「忘れたくても忘れれない。」という正直な友人の話もありました。ぱぱさんのいわれる「人生最大の儀式」その人らしさの匂うものが、いいね。
ある意味臭いくらいのがいいね。いやー、父(私のね)のときには、と、企んでみる。
退職するまで現場の教師だったので、全部の教え子に連絡して来てもらったり。
いやー、ないとスクープに依頼せんといかんな。へへ。意味わかるかな。
しかし彼は、私より長生きしそうな、いきおい。なんて言っておきながら、いざそうなった時の気持ちはわ� �らない。
こころさんが、お父様に思ったように、肩の重みをもちろん感じると思います。
現に今も、1人暮らしの人のリスクを考えると、私と同居しないと。
とずっとずっとおもっていました。父を愛するがゆえに・・・。
しかし自分の人生を考えると、現在父にあるリスクはお酒・女好きの2点。
いろいろ考えて、春から別居することにしました。
ひなさんの言われる独立した生活をめざして。いきます。
一年後・・・・ 投稿者:悩める内科医 投稿日: 3月10日(日)08時54分29秒
遅くなりましたが、佐藤先生ご苦労様でした。
そして、患者さんのご冥福をお祈りいたします。ギリギリの選択を一緒に迫られながら、一緒に苦しんで来られたことは、先生にも、ご家族にも、大きな何かを残したことと思います。
ただ、それが成熟して行くのはこれからのような気がしています。
以前、「家長として」と題して「つぶやき」で紹介させて頂いた患者さんのご家族は、そのときには興奮と混乱の状態でしたが、1年後に当時の訪問看護婦さんがたまたまお会いしたときに、
「親類の最期を経験して、私達はとんでもなく凄いことをしたのだと気が付きました。本当に良かったと思います。」と話されていたとの事です。結果は出ましたが、それがどうだったのかという結論は、まだまだこれからの� ��うな気がします。
今までは、この時期を逃していて、ご家族の出した結論を拾い上げて来なかったのではないかと、自分も反省しています。人生最後の「スーパースペシャルたいむ」!
Paさん、本当にその通りなのだと思います。
ガンのターミナルケアでは、自分の最期の時を「こうして欲しい」と希望を伝え、葬儀の準備もされる方もいらっしゃいます。
以前の佐藤先生の紹介からして、この患者さん自身には、望み通りの「スーパースペシャルたいむ」だったのではないでしょうか。
ただ、「自宅だから可能だった」のか、「病院や施設では可能なのか、不可能なのか」という点は、これからも考えて行くべき内容のような気がします。
佐藤先生捜索願い! 投稿者:悩める内科医 投稿日: 3月21日(木)21時59分59秒
オーイ!佐藤先生!まだゆっくりと寝ておられるわけではないでしょうね?そろそろ起きて、また貴重なお話しや、時間が経ってみて先日の経験をどのように思われていらっしゃるのか、是非聞かせてくださいね!
hinaさん!ご挨拶が遅れました。 投稿者:悩める内科医 投稿日: 3月21日(木)22時18分18秒
個人的な理由で、なかなか自分のサイトの掲示板に登場できなかったので、ご挨拶が遅れました。
hinaさん!本当に書き込みありがとうございました。
日本でのお父様の看病・介護の経験と、海外でのボランティアとしての高齢者の方々とのお付き合いの経験をお持ちとは、なんと凄い!!是非、機会があったら教えて頂きたい事があります。
アメリカでは、シニアの方は「自分の残された人生をどのようにしたいのか」を誰かと話し合う機会がどの程度あるのでしょうか?
特別な設定が必要な日本の状況とどのように違うのか・・・・・
もし、自然に話し合う機会があるとしたら、それは独立心とか合理的な考え方が身についているとか、そういうことだけで成り立つものでしょうか?
たとえば、周囲にサポート� �きる体制が整っているとか、死も含めてこれからの人生を話し合える雰囲気が日本と全く違うとか・・・・・あまり難しく考えてもいけませんね!スミマセン!(^^;
とにかく、hinaさんが感じている「違い」を、何でも良いので教えていただけたら、皆大いに参考になると思います。最後になりましたが、これからも宜しくお願いします!
事例を提出します。 投稿者:佐藤 投稿日: 3月22日(金)11時27分48秒
おはようございます。
寝ていた理由は。掲示板3にでもつぶやきます。
個々は掲示板1ですので、最近相談を受けた事例です。高齢者に限らない問題とは思いますが皆さんのご意見をお聴かせください。A君は医師になって3年目の内科医です。
一般病院で、入院患者を15名ほど担当し、外来も週に2回こなしています。
それ以外にも内視鏡や超音波などの検査も行っていています。(ようは結構忙しいということです)
入院患者の中で、一人は肺癌の末期の患者。70歳。本人はもう意識が無く、現在中心静脈栄養(IVH)で、モルヒネを使用しています。(A君がいうにはターミナル患者)
もう一人の患者は、髄膜炎から横紋筋融解症という筋肉が壊れていく病気を併発して血液透析などの集中治療が必要な状 態の65歳の患者。(A君がいうには重症患者で危険な状態)
どうしても、1日の中で後者の患者にかける時間が多くなる。癌の患者は1回程度状態を確認し指示を出すだけになってしまうことが多い。
もう一人に関しては、それこそつきっきりで治療に専念した。何日も病院に泊まり込んだ。
最終的には、癌の患者は、亡くなられた。死亡確認だけはなんとか自分でできた。家族も満足しているようであった。もう一人の患者は治療のかいあって快方にむかった。家族も満足している。というところで、A君は私に相談してきた。(クラブの後輩です)
「これでよかったのでしょうか。僕は2人にの命を値踏みしたのではないでしょうか。肺癌の患者よりもう一人の患者のほうが、治る可能性もあったし、QOLが高いと� ��いました。そしてその患者に時間を費やすほうが効率的だし、患者のためになると思いました。
でも、後から、がんの患者んの家族が
「先生が来てくれない、でも重症患者受け持ってるからと看護婦さんに言われた。しょうがないですよね」と言っていたのを聞いて何故かショックだった。
どうすえばよかったのでしょうか。概略はこんな所です。
医師に限らず、みな多くの人を受け持っていますよね。
QOLとか言う言葉で比較してません?しかも、主観的に。
という問が浮かびました。
少し時間をくれとA君にはいいました。どうでしょうか。
現実にはよくある事例なのですが。
温かみのある先生ですね 投稿者:田村 投稿日: 3月23日(土)10時43分34秒
患者のケアに向かってどのように信頼できるスタッフの看護師
家族の気持ちとしては割り切れないものがあると思いますが、現実は時間、費用全て有限の中で行わねばならないのであり、A先生の選択は問題が無いと思います。医学的見地からこれで良いと割り切ってしまうことなく、自らの行動を見直され、意見を求められたA先生の行為は、1人の人間としての温かさを感じます。
ただ残念な事は、看護婦さんの発言でした。一概には言えませんが、仕事に於ける個人的事情は、直接患者(家族)に言うのでなく、担当医にまず患者の希望を伝え対応される必要があったのではないでしょうか。1人1人充分に話し合える時間があれば問題が無いのかもしれませんが、時間をかけても全員が納得する事は困難と思います。しかし、納得はしなくても相手に気持ちが通じる事が大事なの� ��はないでしょうか。
時間の濃さ 投稿者:悩める内科医 投稿日: 3月23日(土)20時50分36秒
佐藤先生、すぐに反応していただけて、恐縮です!
田村さんも書き込みありがとうございました。佐藤先生のお話しは、臨床の場ではよく経験する場面だと思います。
特に、急性期の重症患者さんを受け持ちながら、一方で終末期を迎えている患者さんにもそしてご家族にも対応しなくてはいけない場面・・・・
医師としては、頭の切り替えが必要ですし、かなりストレスになる場面です。
10数年前の自分を思い出していました。自分の事を考えてみて、ふと思いました。
この先生が、一日三回肺がんの患者さんの病室に顔を出していたとして、それでご家族は満足されたでしょうか?
ご家族の求めていたのは、患者さんの病状をもっとこまめに診て欲しいということだったのでしょうか?
むしろ、自分 達へのサポートも求められておられたのではないでしょうか?この先生の思いは、僕らにはわかりますが、残念ながら肺がんの患者さんのご家族には、「暖かさ」は十分には伝わらなかったのだと思います。(きつい言い方かもしれませんが、お許しください!)
ご家族が本当は何を求めておられたのか・・・・・・
そして、それに答えるには何が必要だったのか・・・・顔を出す回数だけでは解決しなかったのでは・・・・チームで対応するべきことだったのではないだろうか・・・・そんな思いが頭の中でグルグル回っています。
そんなことをスタッフと話し合う機会を持つことから、この先生の成長も、チームの成長も始まるのではないでしょうか。短い時間しか取れないことは仕方がないとしても、そ� �濃さがむしろ問われているように思うのですが・・・・
鳴門の渦潮で洗われて来ました。 投稿者:ぞぉさん 投稿日: 3月24日(日)21時42分57秒
(いや、実は渦巻いてなかった・・・(^^;)田村さんのご意見にも、悩める内科医さんのにもウンウンと頷いて読ませて頂きました。
急性期・回復期・慢性期やターミナル患者さんが混合する一般病院では残念ながら、本当によくあることだと思います。
うちの病院はターミナル期の癌患者さんは、痛みのコントロール・緩和ケアが必要な段階になっても、手術した外科病棟に入院になります。果たして長時間の手術や集中的な術後の管理や、当然外来診療も行っておられる外科医が充分な対応を出来るのだろうか・・・と私個人は非常に疑問に思っているのですが。体制を変えて行くことで少しは解決出来る問題もあるのでは。「もう一人の患者のほうが、治る可能性もあったし、QOLが高いと思いました。そしてその患 者に時間を費やすほうが効率的だし、患者のためになると思いました」というところを読むと、確かにその先生がご自分で言われているように残された命の時間を比較して値踏みされたような印象を受けました。(すみません)
難しい病状から無事回復に至らせることは担当医ならではで、とても素晴らしいお仕事ですが、それと同じように残された貴重な時間をいかに暖かく過ごせるかということに対するお手伝いも、同じくらい大切で素晴らしいお仕事だと思います。でも後者は残された時間の濃さが違うし、求められる内容から言ってもお医者さん一人で対応するのはかなり無理だと思います。
ご家族は主治医の訪問が少なくなることを、「もう助からない患者だから来て貰えないんじゃないか」と思っておられたかもし� �ません。それは悩める内科医さんも書いておられますが、何回以上訪問するとそうは受けとめられないか、とか満足されるかというものじゃないですよね。
田村さんは看護婦さんの発言は残念だ、とおっしゃっていましたが、考え方を変えると伝え方によるとは思いますが、もしその看護婦さんの言葉で「訪室してくれないのは助からない患者だからではなく、重症患者を受け持っておられるからだ」という形でも納得が出来たとしたら、少しは救いだったかも知れないとも思います。それがフォローになっていて、その分も自分たちが!という様であったら良いなと思いました。私は逆にその主治医の先生が「今、難しい患者さんを受け持っていて、○○さんのお部屋になかなか来れませんが、辛い症状があればいつでも看護婦 さんに言って下さいね。」と言えるような関係を築くことが出来ればなと。お医者さんと患者さんじゃなくて、人と人としての心の交流があったら良いなと思います。「いやぁ〜。今重症患者さん受け持ってて大変なんですよーー。体が三つ欲しいーー!」って、その方に逆に愚痴るくらいでも良いかも知れない(笑)(良くないのかな?(^^;)
それを口実にされたら困るけど、そういう話も出来る暖かい人間関係が医者と患者にあっても良いのでは?また家族に対するアプローチや本人の精神的慰安に関してチームでアプローチ出来る体制を作っていかれることが必要だと(言うは易いですが・・・)その先生は、ターミナル患者さんの看取りということに関してどうあるべきかということを、ご自分でまだまだ模索を続けておら れる(ひょっとしてお医者さんって一生そうかも知れませんが)のだろうと思います。
佐藤先生にこれで良かったのか・・と相談されるほど悩んでおられるという、医師としての良心(もう少しピッタリする表現が他にあるかも知れませんが)をずっとずっと大切にして、一つ一つの経験を積み重ねて行って欲しいと思います・・・・・と、ものすごく生意気な発言だったかもしれませんが、感じたまでを・・・・失礼致しましたペコッm(_ _)m
頑張って欲しいですね。 投稿者:ヒロ 投稿日: 3月24日(日)22時43分48秒
臨床の実際の場面等はわかりませんが・・・。
書き込みを読んでいて思い出した言葉があります。
私達が仕事(どんな仕事でもそうだと思いますが)する上で、プラン・ドゥ・シーと言う事をよく言われます。
簡単に言うと計画・実行・検討なのですが、比較的seeの部分がおざなりになり易い。
本当にこれで良かったのか、他にもっと違ったアプローチは出来なかったか、反省すべき点はどこか、何が課題として残ったかetc・・・。
振り返って謙虚に見直す姿勢が、次回の仕事の糧になる事が多いと思います。
相談された先生が、そういう意味できちんと振り返って見直しをしている事自体に意味があると思いますし、きっと経験を積まれる毎に素晴らしい医師になられる事と思います。最近はシー・シンク・プラ ン・ドゥと言ったり、ドゥ・シー・プランと言ったり、プラン・ドゥ・シーの他に一つ(忘れました。(^^ゞ)あったりするようです。私が教わったプラン・ドゥ・シー
はちょっと古いかもしれませんね。
事例検討の返事には程遠いので、単なる横レスとして聞き流して頂ければと思います。A医師には応援のエールを送りたいと思います。・・・頑張って下さいと。
うんうん 投稿者:はなゆー 投稿日: 3月25日(月)12時45分34秒
ヒノキ花粉@はなゆうです。A先生のお感じになられたことは、皆さんがおっしゃるとおり、医療機関や福祉機関では
日常的に発生していることだと思います。
そして、A先生がその「日常」の中で、「ん、これは本当によかったのか?」と振り返りの作業を行われていることも、これも皆さんがおっしゃるとおり、大変すばらしいことだと思います。
私も、相談面接業務の中でですが、担当の患者さんがおり、その中で、特に重点的に関わらなくてはいけない患者さんがいらっしゃいます。
もちろん私の場合の「重点的に関わる」と、医師の「重点的に関わる」では、医学的な緊急性や生命の危険ということから、かなり意味合いが違いますが、それでも、多くの受け持ちの患者さんの中で、危機介入の必要のある患者� ��んには、1日に何回も病室に訪れて面接をしたり、家族の方と相談室で相談をしたりしています。
その中では、やはりA先生のおっしゃるとおりの「矛盾」を感じている毎日です。私もほかの方と同じような意見になってしまいますが、まず入院をされている方やそのご家族にとって、「放っておかれる」ことが一番堪えると思います。病院と言うところは、確かにドクターや看護婦さんなどの専門スタッフがいてこそ成り立っていますが、治療をする主体はあくまでも「本人」であり、それに一番寄り添えるのは「ご家族」だと思います。今行っている医療について、本人やご家族が、「自分はなんだか(治療の)蚊帳の外にいるみたいだなあ」と感じてしまっては、その後の治療や療養にも影響があるのではないでしょうか。< /p>
ハーブの練習は何ですか?もう一つは、これも皆さんが言っていることですが、やはり患者さんやご家族と医療スタッフとの「信頼関係」を築くことが大事なのではないでしょうか。
これは、一朝一夕にできることではありませんし、医療機関や福祉機関などの奔雑な「業務」の中では、ひとりひとりの患者さんやその家族と信頼関係を保つのは、並大抵のことではありません。このときこそ、「チーム」の持つ強みを最大限に発揮することが求められるのではないでしょうか?
A先生の事例でいわせていただければ、もしその病院にソーシャルワーカーがいれば
「あの患者さんなんだけど、今ほかの患者さんにつききりで、なかなか様子を見に行くことが出来ない。医学的には� �○○な状態で○○なんだけど、もし家族の方が不安に思うといけないから、その辺の心理的なフォローをお願いしてもいいかな?」
と振っていただいてもいいです(実際にうちのドクターはこうです)し、また看護婦さんにもそのことを伝えていただくと、その対応も違っていたかもしれません。確かに限られた社会資源(マンパワーなど)の中で、患者さんやご家族の方が、「放っておかれる」ことを「仕方がない」と「あきらめて」しまうことも多々あります。
これは私の理想ですが、まず患者さんやその家族には「あきらめなくてもいいんですよ。治療の主役はあなた方なんですから、なんでも聞いてください」とエンパワメントをしてもらうこと。そして、そういった体制が「仕方がない」ではなく、医療スタッフの� ��から見直していこうと働きかけをしてゆくこと、最後に、ひとりひとりの患者さんやそのご家族と確かな信頼関係をとれるようなチーム医療を目指すこと、ではないでしょうか?珍しく理想論ばかりで申し訳ありません。少し疲れているのかな?
お昼休み専用@はなゆうでした。
ぱちぱち♪ 投稿者:酔ったぞぉさん 投稿日: 3月27日(水)00時48分19秒
はなゆーさんの昼休憩に書かれたという投稿に、ほんとにまったく「うんうん」って感じです。
以前MSWはまだ知名度が低くと嘆いておられましたが、まだまだ病院にMSWは少なく担当される患者さんの数も相当なもので、本当に毎日花粉症の辛さ以上に辛い日々だと想像しています。医師や看護婦は業務独占だから、患者さんに対してまっすぐな線で援助されるとしたら、MSWはその直線と直線を結びつけるような(ちょっと上手い表現が浮かびませんが)役目でもありますね。その他にも関わられるたくさんのスタッフのチームとしての連携が、上手く患者さんを取り巻いてくれたらなーと、皆さんにエールです(^-^)/(ヒロさんを真似ました。すんません。)
自分がターミナル期になったら病院は嫌だなーと漠然と思 っていましたが、ホスピスもそうそう簡単には増えて来ないでしょうし、自分の家で過ごせるかどうかは疑問だし、こういう暖かい人達がたくさんおられ、やはり病院で暖かいケアが受けられるなら、この先もっともっと変わってゆけるのであれば・・いや、変わって行くことを心から切望する次第であります。(うむ、酔っ払い)
佐藤先生はきっと「QOL」の捉え方ということに関しておっしゃりたいことがあったのではないかと想像しています。そんなこんなの積み重ねが(って全然中身は分かってないですけど)「臨床倫理の学習会」ということに繋がっているのだろうなぁ〜と思うのですが・・・この先いろいろと教えを頂きたいなぁと思っています。
どうも佐藤先生が、落ち着かれるまでしばらく姿を消してしまわ� �そうな気配がしたので、関係ないRES(しかも掲示板3のRESだ!(^^;)ですが、新天地でもますますのご活躍期待致しておりますペコッm(_ _)m 真面目な掲示板で失礼つかまつりました。
で、佐藤先生のご意見は? 投稿者:悩める内科医 投稿日: 4月 2日(火)17時35分07秒
佐藤先生!お忙しいとは思いますが、この辺で一言どうでしょうか!?
異動直後でお忙しいでしょうか?
私の母の終末 投稿者:gust 投稿日: 4月 3日(水)10時14分02秒
はじめまして
悩める内科医先生のお言葉に甘えて私もレスさせていただきます。私は去年2月24日85才の母を病院で看取りました。
その病院での整形外科の医師 看護婦の老人に対する態度にショックを受けました。一人暮らしの母が歩けなくなったとの弟からの電話で 実家と車で2時間離れた所に住んでいた私は 老人福祉課に「駅に近い病院を紹介して欲しい」と電話で相談した結果
空き部屋があるか 病院に問い合わせて連絡をくれました。紹介された病院の整形外科医が 最初に言った言葉にすごくショックを受けました。
「貴方は娘さんか知らないけど 一人暮らしの老人は 皆さん病院に入院させたら 見舞いにも来ず ホッタラカシの人が多い ここは3ケ月しか診ないから 即 老人施設に入れる� ��続きをしてくだい。」と言われました。
「私が定期を買って病院に見舞う為 駅に近い病院を紹介してもらいました。とりあえず リハビリをしてダメだったら その時は考えます。」と私が言って2月9日入院させてもらいました。
なぜならば 正月に母が立ち上がるのに苦労していたので 実家をバリアフリーに改築してくれるように 知り合いの建築屋に依頼してありましたから。私は毎日PM2時〜8時まで病院に行き リハビリの手伝いなどしていました。
老人介護の本で勉強と ヘルパーさんに教えてもらい 実家の改築が出来たら 介護保険を利用して 在宅介護をすることに決めていました。2月21日床擦れ防止のため 私が依頼したエァーマットをした翌日 朝からずっと車椅子に座らされているので � �痛を訴え「ベットに寝かせて欲しい」と言うので 私が看護婦さんにそのことを言うと 看護婦が「何時まで病院に入院しているつもりで そんな我が儘を言っているの!入院を待っている人がたくさんいるのに!」と母を叱ったので 私は「私が母をベットに寝かせます!」と言いましたら 私を押しのけてベットにほり投げて 「わぁ!臭いウンチをしているみたい!」と言って病室を出て行きました。
その状態で待っていましたが いっこうに来ないので 母が私にオムツを変えてくれるようにと言われましたが 病院では大便の時は 何か知らないけど液を持ってきて洗っているので私では出来ないと母に言っていましたが 看護婦が来ないので 私がベットにちゃんと寝かせ オムツを開けてみたら ウンチで無かったので� ��私がオムツを変えました。2時間程して 老人福祉課に介護保険申請をしていましたので 調査人が来てくれましたので(その病院の母のリハビリの先生でした)話をしていましたら 主治医と看護主任が 血相を変えて調査人を押しのけて 「何の為に入院したのですか 最初に言ったでしょ!3ケ月しか診ないと どうして支持に従わないのか」と言われました。私は「貴方が最初のお医者さんですか」と言うと「そうです」と言われたので 私が「先生の老人施設に入れるようにと言われた事にすごくショックを受けました その時に私がリハビリをして ダメだったら考えますと言ったでしょ」と言いました。主治医が「リハビリはしているのですか」と言われたので「この方が 母のリハビリの先生ですが」と言いましたら� �調査人の方に「リハビリはしているのですか」と聞かれました。「ハイ 一生懸命されていますよ」と言われたので 私に「考えているなら 何時まで入院させるのですか」と言われたので 私が改築契約書をみせて3月12日までとなっていますが「なるべく早くしてくれるように御願いしてあります」と言いました。
医師が「それだったら それまで診て上げます。いえ診させていただきます。」と言って出て行きました。2月24日 母の息が「ハァ ハァ」と言っているので 看護婦詰め所に行ったが 看護婦が居らず医者が一人居たので 「済みません 母の息をハァ ハァといっているのですが」と言うと 医者が「今 看護婦忙しいから」と言って知らん顔していましたので 少し立っていましたが「後で看護婦さんに聞い てみます」と言って病室に帰って 1時間後に私は一人で母の最後を見取りました。
最後に私は 看護婦と看護主任に「看護婦でありながら 2日後に亡くなる患者の容態も判らず 患者の為だといいながら 我が儘を言って甘えていると言えるのですね!看護婦になろうとした時の初心を忘れていませんか」と言いました。
私の母の終末はこういう形でした。
すみません 長々と書いてしまいました。
gustさん、辛い経験を話して頂いてありがとうございます。 投稿者:悩める内科医 投稿日: 4月 3日(水)14時24分15秒
gustさん、ご投稿ありがとうございました。
まだ一年ちょっとしか経っていない辛い経験をお話し頂いてありがとうございました。
このサイトに顔を出してくれる医療・福祉の関係者の方々も、現実を見つめようとされる方々ですので、ご心配なさらないでください。gustさんとお母様の経験された事は、程度の差こそあれ、決してごく特殊な例では無いような気がします。そこには「支援」を頭に置いた話し合いも無かったようですし、信頼関係は築けなかったようですね。
先ずは、「一人暮らしの老人は」と、皆一まとめにして決め付けてしまう事に大きな問題を感じます。私の経験でも(佐藤先生もそうだと思いますが)、それぞれの高齢者にはそれぞれの人生があり、それぞれの事情があります。そこに踏み入らなけ� �ば、高齢者の終末期(私の考えている人生の最終章としての終末期という意味ですが)の問題は前進しないような気がします。
まして、本人の望みやご家族の希望を叶えるなど、到底不可能でしょう。もう1つは、病院側の言い分もあるでしょうが、高齢者の人権が軽んじられている事を考えずにはおられません。
一般病院で、若い人も高齢者も一緒に入院している状況では、どうしても対応に差ができてしまうのかもしれません。この辺は、医療関係者が「背一杯やっても」、ご家族には完全には届かない事があるという部分も含めて、今後も話し合って行く必要がありそうです。
先日の佐藤先生の問題提起にも関係してくるような気がします。きっと似たような経験をお持ちの方も多いと思います。でも、それを克服できた経験もきっとあるはずです。是非、そのような経験も皆さんから伺えたらと思っています。
私が長々書いても、gustさんの辛い経験が消えるわけでは ありません。
でも、このサイトの皆さんが、きっと答えてくれると思いますし、そのことでgustさんの辛さが少しでも和らいでくれる事を祈りつつ、今回は書き込みを終わります。
・・・・・。 投稿者:こころ 投稿日: 4月 3日(水)15時00分41秒
何と言ったら良いのか・・・。最愛のお母様を亡くされただけでなく心に深い傷を負ってしまわれたgustさん、つらい思い出をお話して頂いたことでとても大事な問題提起をされたことになると思います。
医療の専門家たちがみんなこのページに出ていらっしゃるような方たちばかりなら良いのですが、現実には想像を超えた感性の持ち主たちがいるのですね。
このページでは以前から 内科医先生や佐藤先生はじめ多くの方たちがその問題について強く訴えていらっしゃいます。しかし、患者サイドからは言いづらいことも多いのか gustさんのような生々しい体験談を聞くことはなかなかありません。
これからはgustさんもご一緒にこの問題について考えていきましょうね。そのことがお母様の死を無駄にしないことにもなり、gustさんの心が癒されますように願っています。
ようこそ>gustさん 投稿者:pa! 投稿日: 4月 4日(木)00時04分28秒
やふぅ。では、papadaisukiですが長いのでpaです。非常につらい経験を書いていただきましたね。言葉がでません。
こういう現実が存在するということが腹立たしい。
医療とは、看護とは何なんだろう?
こんなあふぉな専門職がいるとは。。
医療とは 看護とは 投稿者:gust 投稿日: 4月 6日(土)11時19分37秒
>医療とは、看護とは何なんだろう?6年前に私の妹42歳が肺癌から脳腫瘍になって8ケ月余りで亡くなりました。
病院に毎日見舞いに行きましたが その時のお医者さん 看護婦さん達には 手厚い医療と看護を受けて感謝しています。私の母の場合
歩けないから「リハビリ」と老人福祉課の紹介で 整形外科に入院させてもらいましたが 今 病院に入院してからの母の病状を振り返ってみますと 診察を受ける科を間違っていたのかも知れません。手足がしびれて動かせない。
肩 首筋がちぎれるように痛いという。
お腹が張って食事が食べられないという。
喉が渇くと水を欲しがる。以上のことを私が看護婦に言っても 何の処置もしてくれませんでした。
だから 私が薬屋で症状を説� ��して調合してもらった薬とバナナとポカリスエットを 毎日与えていました。
私は何事もプラス思考ですので 母が寝たきりで長生きすることなく 楽に死ねたと思っています。
毎日病院に行ったことで 母の最期も看取れましたし。皆様の思いやりの言葉に感謝します。
ありがとうございました。
はじめまして 投稿者:おさる 投稿日: 4月 8日(月)11時28分38秒
こころさんに紹介されてやってきました。(こころさんありがとう!)
先月実母72歳が脳出血で意識不明となり入院中。
命は保てたものの植物状態に変化は無く
この先自宅か施設かの選択をそろそろと言われております。母は長年のうつと去年からはほぼ寝たきりの生活、それでも自力で普通食を取れていたので
ヘルパー、デイ、ショートを使いながら自宅介護を送ってきましたが
今回このような状態になり、積極的な治療をせずにいながらも母は自分の命を長らえています。寿命って誰もがわからないし思うとうりは行きませんね。
あんなに「死にたい」と言っていた母はまだまだこちらに未練がある。
経管栄養の管をはずせば終わるのに・・・
やっぱり家族は目の前で何もしないことは出来ない。
去年も食べなくなった時に「家で看取る覚悟」をしたはずなのに・・・今病院で管につながれている母の命綱を引き抜くことは出来ないです。
医師から「重症なので2,3日で呼吸が止まると思われた」ところから母は持ち直している・・・・
私は祖父を自宅で最期を迎えたのを見、祖母を4年前この腕の中で意識がなくなるまで
看ていて、意識のあるうちはうちにいさせたいと言う考えはこれまで通してこれました。
(それでも毎日の介護には息切れがしました。)
けれど意識の無い状態で生きつづけることは予想外のこと
こうして初めて自分で経験して多くのことを考えさせられます。実父は39歳で私が1歳の時にガンで「くやしい」と言葉を残し死んでいいったそうです。
祖父母は80、90歳まで生き、そし て母。
高齢者に限らず「命」そしてその最期を考えることは自分の問題を含めて
「生きる」ことの意味も問われます。
探してきたページに会えることが出来て
皆さんのお話これからゆっくり読ませてもらいながら勉強したいです。
親ってこうして子どもに教えてくれるんですかね。こんな書き込みでも良いでしょうか?
皆さんどうぞよろしくお願いします。
こちらこそ、よろしくお願いします。 投稿者:悩める内科医 投稿日: 4月 8日(月)18時00分19秒
おさるさん(って、何だかやっぱり「さん」をつけにくいな・・・・・(^^;)、ようこそ!
本当に様々なご家族の最期を見てこられ、それぞれに思うことがおありだろうと思います。
どれが良いとか悪いとかの問題ではなく、それぞれに「どうしようか」と考え、学び、振り返ってみて更に思うことがあると思います。
専門的なことは全く必要ありません。その経験の中で(現在進行中の経験も含めて)感じられた事を通して、どのように高齢者をケアしていったら良いのかを、是非一緒に話し合いましょう!
ようこそ おさるさん 投稿者:こころ 投稿日: 4月 8日(月)21時28分18秒
うわぁ、早速来て頂いてありがとう!(このページのホストでもないのに偉そうに・・・)悩める内科医先生(ときに「ピクミン1号」またあるときは「もんもん先生」)をはじめ、皆さんとても心暖かい人たちですので おさるさんも安心して仲間入りして下さいね。
ようこそ(^-^)/ 投稿者:ぞぉさん 投稿日: 4月 8日(月)22時54分15秒
なんだか親しみの湧くHNですねぇ(^-^)動物繋がりのよしみで(?)よろしくお願い致します。本当に様々な身近な死を通して、感じておられることがおありなんだろうなぁ・・・と思います。
自宅での看取りを覚悟していても「意識のない状態で生き続けることは予想外のこと」という言葉はズシリと重く・・・すみません、上手く言葉が出て来ませんが、一緒に考えさせて頂きたいなと思います。とりあえずのご挨拶ですが、どうぞよろしくお願い致しますペコッm(_ _)m
選択 投稿者:おさる 投稿日: 4月 9日(火)09時12分42秒
さっそくの暖かいお返事どうもありがとうございます。
聞いてもらえる安心感はなにものにも換えがたいです。昨日は今入院中の相談室でてきぱきと今後についての説明
施設か、自宅か・・・
相談員の方ってクールに状況聞きますね。
私もついつい負けずにクールに装ってみたものの
感情がぽろり、ぽろり。
「もし今うちに連れて帰ったら、管抜いちゃうかもしれません」
「え?・・それって?」金銭面施設面ケア面で「施設が良いところばかりではない」といわれても
今の私にはまだ母の状態をまるごと添ってあげることに疑問だらけです。
現実問題としての金銭面を提示されうろたえる自分も悲しかったし
とりあえず今は「施設ケア」を実感することで天秤にかけながら・・・
こういう� ��とても汚い言葉ですが・・一時的に時間をもらいながら
これから先新たな段階の母との生活を決めていきたいとおもいました。今、今後すべてを決めなくてその時々に変えていいんだ・・と
眠ってる母に小声で「いいでしょ」と。
そんな私に、きっと言いたいこといっぱい母にはあるだろうなぁ・・・・ページ、過去ログがとってもたくさんあって
どれも気持ち入れて読むとすごい時間かかりそうです。
読ませてもらいながら同時進行でお言葉に甘えて書かせてもらいます!
お医者様ってとても高いところにいられる方?のような気がしていましたが、
お医者様が悩まれていることが(すごい失礼ですよね)いっしょなんだと身近に感じたこと
救われた感じです。←言葉悪くてごめんなさい。
おさるさんへ 投稿者:こころ 投稿日: 4月 9日(火)10時30分18秒
おさるさん、父の意識がなくなったときの私の心境もまったく同じでした。それまでが在宅にこだわってきていただけに どこか自分の中に罪悪感のような挫折感のような複雑な思いがありました。しかし それを上回る不安が家に連れて帰ることを拒ませていました。
ずっとお世話になっていたケアマネはそれまでの私の言動から 私の心の変化が理解できなかったようで、私が「もう在宅は無理です」と言っても「出来る限りご協力しますから頑張りましょう」とおっしゃいました。それまではとても有難かったその言葉がその時の私には重荷に感じられました。心の中の声に「無理って言ってるじゃない じゃない ない なぃ・・・」ってエコーがかかっちゃいましたよ。おさるさん、無理しないでその時の状況にあわせて考えていかれて良いと思います。おさるさんも無言のお母様から色々なこと教えてもらっているのですね。
よおこそ!おさるさん。 投稿者:pa 投稿日: 4月 9日(火)15時43分40秒
はじめまして。父親が要介護の娘です。つながりが深いほど思い入れがはいり、選択が目の前にあるととまどう。
家族だけでなく、関わりあってきている人達の葛藤でしょう。
ビジネスライクにできない心の問題も、それぞれが抱えている。
相手を思いやって選んだことが、本当にこれでえいいのか・もっと違う方法はないのか、と苦悩の原因になる。言葉や態度ではっきり表現できるひと・今までの関係でなんとなく気持ちが理解できるひと・病気で全く意思表示困難なひとなどなど。ひとりひとりの個性があるし、関わるひとたちにも個性がある。人生最大のイベント(フィナーレ)をそのひとの立場になって工夫したい気持ちはあっても、それまでの道のりをどうすればいいのか。
自分はまだ、親を失ったこ� ��がないので、どーゆー展開になるかは不明。
レベルダウンのカーブをいかにゆるく下降させるか、が現状です。
また、お話聞かせてください。
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